YAMAHA(ヤマハ)

長い操業歴ながらバイクメーカーとしては後発

YAMAHAことヤマハ発動機株式会社は、もともとは「ヤマハピアノ」で知られる日本楽器製造から分離独立した会社です。

ヤマハは1916年にオルガンの修理業を行う会社として誕生しており、創業者である山葉寅楠の名前より社名がつけられました。

山葉寅楠は和歌山県出身で徳川藩士の息子として生まれました。
ルーツは長崎で時計作りを学んだことにあり、のちに浜松で医療器械の修理を仕事にしていたところ小学校のオルガンを修理したことをきっかけにオリジナルのオルガンづくりを行う会社「山葉風琴製造所」を創業します。

のちに1897年に「日本楽器製造」と社名を変更し、さらに1987年に「ヤマハ株式会社」となります。

オルガンづくりをするためには木材も多く取り扱うことから楽器の他にも家具製造にも着手しており、1921年にはそんな高い木工技術を生かして航空機用プロペラも作り軍需産業として発展していきます。

ヤマハがバイク製造に着手するようになったのは戦後1950年から四代目社長となる川上源一が就任してからのことで、1955年には初の「YAMAHA125」という車種が販売されています。

既にこのころには他に国内には多数のバイクメーカーがあり、ヤマハは後発メーカーということから比較的控えめなスタートとなっていたようです。

楽器製造業として有名であったことから「音だけはよいバイクだろう」という冗談を言われることがあったり、二輪車販売店に置いてもらえなかったために楽器屋などの系列店で売られていたということもヤマハならではのエピソードとなっています。

レースでの優勝により徐々に知名度が高まる

かなり厳しい状況からのオートバイ販売のスタートでしたが、もともと高い技術の地力を備えた企業ということもより徐々にバイクメーカーとしての実力を発揮していきます。

1956年には富士宮市の浅間神社から富士山5合目までの登山道をかけて行うオートバイレースで優勝したことにより一気にヤマハの知名度が高まります。
1955年7月からは日本楽器から独立した「ヤマハ発動機」という現在の会社のもととなる子会社が独立しています。

海外進出は1960年から行われておりカリフォルニア州ロサンゼルスに「ヤマハインターナショナル」が設立され、楽器と二輪車の販売を開始しています。

中でも有名な車種となったのが「エンデューロDT1」というオフロードを走行することができるタイプで、このバイクが人気となったことにより、日米でモトクロスブームが起こりました。

この頃には日米各地にモトクロス場が設置されるとともに、全日本モトクロス選手権が全国に中継放送されるなどの過熱ぶりが起こりました。

この頃までヤマハは2サイクルエンジンを中心に扱っていたのですが、1970年代に入って英国のバイクメーカーが相次いで倒産するという状況が起こったことにより日本で英国風の車体を用いた車種が多く作られることになります。

このときにヤマハ初の4サイクルエンジン車が誕生しており、TX750というそれまでの主流商品よりもかなり大きな排気量を持つバイクとして大々的に売り出しました。

トレールに始まるヤマハの名車「SR」

前述の米国で大人気になったエンデューロDT1ですが、日本では1968年から「トレールDT1」という名称で販売をされました。
このトレールシリーズは後に現在も人気車種として知られる「SR400」シリーズにまでつながっていきます。

トレールが「SR」になったのは1978年からのことで、フレームやエンジンは初期の車体のものを流用しつつもディスクブレーキなどオフロードではない一般公道でも楽に走行できるような改良が加えられています。

ヤマハSR400は最近では2016年に新色を加えるなどニューリリースがされていますが、基本構造や見た目は1978年の発売当時からほとんど変わっていません。
それだけ当初より完成度の高い性能を持ってきたということがわかります。