HONDA(ホンダ)

販売台数世界№1の一流バイクメーカー

HONDAこと本田技研工業株式会社は、現在世界で最も多くオートバイの販売台数を誇る世界的バイクメーカーです。
世界全体からみた日本のバイクシェアは全体で約4割となっているのですが、その中でもずっとトップシェアを維持しているのがホンダです。

日本国内においてはバイクの需要は年々落ち込んできていますが、一方で東南アジア諸国ではバイクが市民にとっての生活の足として非常に多く使用をされています。

日本と比較して道路状況がきちんと整備されているわけではない国々においては、丈夫で小回りが利き、かつ駐車のためのスペースがかからないバイクは非常に便利な乗り物です。

ホンダ製のバイクの中でも世界で最も売れているとされているのが「スーパーカブ」で、中国やインド、インドネシア、ベトナムといった国々に輸出をしています。

東南アジアとインドで経済発展が進むスピードに合わせてスーパーカブの販売台数も増えてきており、今後もしばらくは売り上げの中心が日本国内ではなく海外のアジア諸国になっていくことは予想されます。

本田技研工業の歴史

ホンダ(HONDA)という名称は言うまでもなく創業者である本田宗一郎から由来するものです。
本田宗一郎は静岡県の二俣本町(当時は光明村)に生まれ、鍛冶屋を営んでいた実家はのちに「本田自転車店」という二輪車を扱うお店となります。

その穂東京の自動車修理工場に丁稚として入り修理のノウハウを覚え、のちに再び地元に戻り丁稚先の会社の支店で自動車の開発や修理をしていくことになります。

当時は自動車というのは一般向けの乗り物ではなく金持ちがオーナーとして所有するものだったので、どちらかというとレース用の自動車を研究開発する業務が多かったようです。

最初は自動車部品の工場を買収して社長となるも、のちに資金難により豊田自動織機に売却をすることになります。
HONDAのもとになった会社ができたのは戦後1946年のことで、「本田技術研究所」を浜松市山下町に設立し自転車用の取り付けエンジンを製造します。
このときに作られたエンジンが「ホンダA型50ccエンジン」です。

その後B型、C型と次々と新しくエンジンを開発し、ついに1950年には「ドリーム号」というD型エンジンを搭載したオートバイが完成します。

この「ドリーム号」はさらに4サイクルエンジンのE型エンジンを搭載し以後長い間ホンダを代表するバイクとなっていきます。

「カブ」が登場するのは1952年で、当時は自転車にモーターがついただけの簡単なものでF型という後付けエンジンを採用しています。

当時他社からもエンジン付き自転車はいくつか販売されていましたが、エンジンの搭載位置が中心のものが多く火傷や事故が多発するという問題がありました。

そこで後輪部分にエンジンをつけるという大きな変更をしたことでカブF型は空前の大ヒット商品となり、そこから世界一売れているバイクカブの歴史はスタートしていきます。

CBシリーズとして続く「ドリーム号」

HONDA最初の本格オートバイ「ドリーム号」ですが、これは開発をしたスタッフが「夢のようだ」と発言したことにより名づけられました。

現在も「Honda DREAM」といバイク販売ネットワークがありますが、この名称も創業初期に作られたドリーム号がもとになっています。

スーパーカブとともに世界的に有名なバイクとして「ドリームCB750FOUR」という昭和47年製の車種があります。
こちらは200km/hが出せる世界初の量産型バイクで、今もオークションなどで高値で取引をされています。