本田宗一郎について学ぼう

皆さんは本田宗一郎氏についてご存知でしょうか?
おそらく、バイクに乗っている人ならこの本田宗一郎氏を知っているはずです。
本田宗一郎氏は、あの「ホンダ」の創業者。
日本において、本田宗一郎氏はバイクの歴史を大きく変えた人物として良く知られています。
では、どうして本田宗一郎氏がそこまで良く知られているのかについて、かんがえていきましょう。

オートバイを開発した本田宗一郎氏の存在について

本田宗一郎氏は、日本においてオートバイの開発に携わった第一人者。
その名称は世界的に有名なので、ご存知の人も多いのではないかと思います。
そんな彼が、なぜオートバイの開発をはじめたのか?そのヒントは戦後にありました。
戦後は海水から塩をつくるなどして生活をしていた本田宗一郎氏ですが、妻が自転車での買出しに難儀している姿をみて「エンジンをつけてはどうか」とひらめきました。
ここから、本田宗一郎氏の挑戦がはじまります。
そこから、ホンダはどんどん挑戦を続けていき、今は世界で一番バイクを売る企業となっています。

本田宗一郎氏は怖い人だった?

そんな本田宗一郎氏ですが、数々の逸話も残っています。
どんな人物であったのか?について考えてみましょう。
まず、本田宗一郎氏は技術者としては意外にも評価が低かったとも言われています。
彼が残した功績の素晴らしさはすでに説明する必要がありませんが、すでに空冷の時代は終わりをつげ水冷の時代がきていたとき、社内の反対を押し切って本田宗一郎氏は空冷にこだわりつづけていたとか。
空冷でも水冷でも、最終的には空気で冷やす仕組みであることから、「では空冷の方がいい」とこだわり続け、そのことに社員が非常に難儀したと言われています。
しかし、最終的には社員たちの反対がかち、ホンダは水冷への道を歩むことになったそうです。

偉大な人物であることはもちろんですが、部下には相当に厳しい人であったということも知られており、そのこともなんだか少し意外ですね。
ともあれ、彼が残した功績はいまだに素晴らしいものとして語られていますので、今後とも「日本に名前を遺す経営者であり、技術者である」ということは変わらないのかもしれません。
ホンダは現在も本田宗一郎氏の意志をつぎ、バイクを世界で一番売る企業として良く知られています。彼の功績が素晴らしいものだったからこそ、ということは変わらないでしょうね。
ぜひ、この功績をずっと語り継いでほしい、そんな風に思います。